コロナ騒動のなかドミニカ共和国からの脱出
さて、昨年は、アマゾン、スマトラ、オーストラリア、カリフォルニアに加えシベリアなど世界各地の大規模森林火災が大きな問題となったが、2020年も年始めからいろいろな事件が起きた。
日産社長カルロシ・ゴーンの逃亡劇やアメリカによるイラン軍の将軍で国民的英雄の暗殺事件などがTVをにぎわす中、1月中旬には中国で新型コロナヴィールスが発生したことも報じられたが、これが世界の状況を一変させることになるとは、この時多くの人は想像しなかった。
例年のように、尊調も昨年12月からドミニカ共和国への旅行準備を始めた。航空券(往復15万円)を手配し、海外旅行保険に加入し、訪問先へのお土産を揃えるうちに1月下旬となった。飛行機はアメリカン航空で、出発は成田空港から。
いつもは千歳空港から東京に出て数泊の後、出発当日に空港へ向かうのであるが、今回は新型コロナヴィールス感染を避けるため、前日の2月4日に千歳から成田に飛び1泊、翌5日に日本出発となった。
この頃は、日本での感染者数は少なく、札幌でも気にする程ではなかった。勿論、国内の死者はゼロ。ただ、国内には警戒感が漂い、東京ではマスクは売り切れ(中国人観光客が大量に購入していたようだ)、札幌でも購入が難しくなってきていた。
中国人の入国禁止措置をとの意見もあったが、政府は中国の一部地域からの入国制限のみの措置で済ませていた。
さて、ドミニカ共和国はどこにあるのか確認しておこう。
カリブ海:ドミニカ共和国はカリブ海に浮かぶ島国で、島(エスパニョーラ島)の西側1/3はハイチと国境を接し、海を挟んで北はキューバ、西はジャマイカ、東はプエルトリコに囲まれている。
地図からわかるように、ドミニカ共和国はカリブ海に浮かぶ島国で、島(エスパニョーラ島)の西側1/3はハイチと国境を接し、海を挟んで北はキューバ、西はジャマイカ、東はプエルトリコに囲まれている。マイアミから飛行機で2時間だ。公用語はスペイン語、首都はサント・ドミンゴ。人口は1千万弱。
2月5日の夜遅くサント・ドミンゴに到着、タクシーで市内のホテルに投宿、数泊する。この間、電話で数人の友人に到着を知らせる。市内の両替店でアメリカドルを現地貨(ドミニカ・ペソ)に交換、当時のレートは、US$ 1 = RD$ 53.15、このレートだと、1ペソが約2円となる。
ここから、多くのアミーゴが住むサンフランシスコ・デ・マコリス市に向かう。首都からバスが1~2時間毎に出発、片道2時間、300ペソ(150円)だ。
この町は島の内陸に位置し、人口は15万人、8番目に大きな町だ。年平均最高気温は30度、最低気温は20度だが12月~4月は12度にまで下がることもある。年間降雨量は1,500㎜、5月と11月は雨量が多く月間降雨量が200mmになる。また8月~10月はハリケーンシーズンだ。
この町の近郊にSoul Villageのドミニカ共和国農場がある。(詳細は次回に報告)
滞在中、農場に通ったのは3月10日まで。その後は、ドミニカ国内にコロナヴィールス感染者が現れ、またアメリカでもニューヨークを中心に感染者や死者が急増してきたため、ドミニカ政府は国民に外出自粛を要請するようになった。この時点で、マスクの入手が難しくなってきた。
3月13日に、友人の車で首都へ。買い物に付き合った時のスーパーマーケットの様子は、買い物客で溢れていた。食料や日用品の品不足を心配して買い出しに来たからだ。
スーパーの入り口に店員が配置されていて、入場する客の手のひらに、親指の大きさほどのジェル状の塊の殺菌剤を載せていく。客はそれを手のひらで薄くのばし、肌が露出している両腕まで塗っていく。買い物ワゴンがなかなか見つからない。買い物を終えた客の後を駐車場までついていき、車に荷物を移し終えたところでやっとそのワゴンを譲り受け、結局30分程費やしてやっと手に入れる。
入り口で、店員がやはりワゴンのハンドル部分をアルコールで消毒する。店内は勿論ごった返していて、ワゴンを進めるにも一苦労、1時間ほどかかって商品をワゴンに積み、レジの列に並ぶ。これから更に待つこと2時間、やっと支払いを終える。友人は、駐車場から車を出したときにやっと安堵の顔になった。
さて、ヨーロッパでは急速に感染者および死者が増加しているニュースが伝えられる中、ドミニカ(共)国でも3月19日になると首都でも感染者25人の発表があり、また、アメリカ政府も海外のアメリカ人に対し帰国勧告をするに及んで、アメリカ国内の飛行場が閉鎖される可能性が強まったと判断、インターネットで早期の帰国便を探し始めることとした。
勿論、アメリカン航空からメールで、当初の予約便(4月1日サント・ドミンゴ発)を変更する場合は手数料なしでできますよという連絡は入っていたものの、変更手続きをいくらやっても予約が入らない。2日間粘ってもダメ、結局、新たに航空券を購入することで、やっとドミニカ共和国からアトランタ、そこで1泊して、翌日アトランタからダラス経由成田空港着の切符を予約できた。
出発は3月24日。なお、予約した翌日、アメリカン航空から4月1日出発便はキャンセルされ飛ばない旨のメールが送られてきた。
また、ペルーでは政府が3月17日に国境を封鎖した事に伴い国際便の運行も停止され、日本人観光客200余人が取り残されたので、日本政府がチャーター便を出すことを検討中とのこと、背筋が寒くなる。
この時点で、新たに予約した便もいつキャンセルされるか不安の中、もしキャンセルされた場合はこの島で籠城する選択肢しか残されていなかったので、今思えば、運が良かったとしか思えない。
3月23日に友人に別れを告げ、サンフランシスコ・デ・マコリスの町を出発。この1週間前から国内すべてのバスは全面運休に入っていたため、友人の知り合いのタクシー運転手に頼み込んで、首都まで行ってもらう。首都までは走る車も少なく、市内でも渋滞はなく、1時間半で常宿に到着。この日、ホテルの宿泊客は2組だけ。従業員も2人のみ。明日の出発に備え荷物の整理をする。
帰国前に、お世話になった友人数名に、電話で帰国することを知らせたかったが、プリペイド携帯で、クレジットが残り少なく、チャージしようにも店が閉まっているためそれもかなわず、結局、挨拶無しでこの国を去ることとなった。
この時点で、この国の感染者は200人、死者は3人。日本は感染者1,000人を超え、また死者も30名位。
やっと3月24日を迎えた。ホテルの従業員2人に見送られながらタクシーで空港へ。
空港内は人もまばら、搭乗手続きはスムーズに進む。ただし、空港内の多くの店は営業停止、機内も乗客が少ないので、ゆったり。まず、デルタ航空でアトランタに飛ぶ。3時間の飛行だ。その日は乗り継ぎ便が無いので、空港近くの安ホテルで1泊。
翌日、今度はアメリカン航空で、ダラスに飛び、ダラスからJALに乗り換え、26日の昼過ぎ、やっと成田に帰国した。どの飛行機もガラガラだ。成田空港で入国手続きを行う前に、コロナの検疫検査(健康状態や渡航先調査、国内の連絡先などの質問)があり、これに多少の列ができていて、20分位待つこととなった。
アメリカ経由で戻ったので、近くのホテルに2週間程度隔離されるかなと覚悟していたが、無罪放免、夕方東京に出てビジネスホテルで1泊、翌日羽田から千歳へ、そしてやっと我が家に着いた。勿論、自宅で2週間は自己隔離し発病の症状が無いことを確認して、やっと心身共に落ち着くことが出来たかな。
今後の海外旅行はどうなるのか、感染予防の観点から、また航空会社の採算経営の視点から、今までのように気軽にとはいかなくなるかもしれない。
でも、みんな、一度はSoul Villageドミニカ共和国農場に行ってみよう。
サルー!(乾杯のかけ声)